救命救急に勤める看護師の友人と、久しぶりにランチ。
息子の小学校からのママ友なので、家は近いはずなのにお互いに忙しく、
半年か一年に一度の割合での逢瀬になっています。
人に関わる仕事を積んできた者同士、いつもその時々の思いや考えを語り合い
深いところで共感し合える大切な時間となっています。
今回特に話が深まったのは、
在宅医療 そして
在宅での看取り についてでした。
私も彼女もお互い職に就いて24年。
その経験と、在宅医療の講習会に出たばかりだという彼女の話はとてもうなずけるものでした。
1960年代より在宅で亡くなる方が減り始め、病院で死を迎える方が圧倒的に増え始めたこと。
しかし現在後期高齢者が増え、なのに緩和ケアやターミナルケアを行っている病院は全く足りない。
また、認知症患者の受け入れができる病院もない。
そこで、また昔に戻り、徐々に在宅看護し家で看取るという形が増えて来るであろうとのことでした。
ですが、まだまだ日本では在宅医療を施してくれる医師も少なく、
その分野での臨床経験も低い医師が多い。
周りや近しい人でそのような経験を踏んでいる人も少なく、
家族も知識を得たり、気軽に相談したりできる環境がなかなかないですよね。
在宅でのターミナルケアの場合
(ターミナルケアとは終末期医療のことで、末期がん患者等に対して
延命を目的とするものではなく、人生の質を向上させることに主眼を置くもの)
医師が、その方の今後辿るであろう経過を家族に伝える事が出来ていない
故に家族が死にゆく過程を理解していないという現状があり
今後その点をどのように医師や看護師が家族に伝え、
家族もある程度の覚悟を持って当たることが大切なのだと話してくれました。
何故なら、本来は自然に死に向かっている状態・・・
段々と物が食べられなくなり、意識レベルが徐々に落ち始め、深い呼吸をし出すという状態で
慌てた家族が救急車を呼び、救命救急に運び込まれることが多々あるからだそうです。
もちろんいろいろな医師がいますが、「死は敗北」と捉えている医師もまだまだ多く
そうするとそこでは何が行われるか・・・
抗がん剤でボロボロの身体に、きっちり30分間心臓マッサージが施されるそうです。
そこには静かな死もなければ、人としての尊厳も感じられない状態・・・
何度立ち会っても止めに入りたくなる自分がいるそうです。
長く患い、治る事は見込めない患者さんの希望や家族の希望、
またベッド数が足りないと言った理由で在宅に切り替えた後、
静かに死を迎えるはずの患者さんが、
本来は自然に死に向かっている状態にも拘わらず
その過程を知らないが故に、更に辛い苦しい状態を味合わせてしまうかもしれない訳ですね。
ですが話を聞き、今のこの日本で普通に暮らしている私達の中に
死にゆく過程を理解している人など どれだけいるでしょうか。
昔はもっと死が身近にあったと聞きます。
小さな時から、床に伏せる祖父や祖母を見たり看たり
最期を迎える祖父や祖母を、家族全員や親しい人で看取ったのですね。
そんな経験などしたことがない、全く知らない世代の私達が
そんな問題に直面する年齢になって来ています。
死を語ることはタブー
そうされていた時代も長かったですが、
これからはもっと親や自分自身の『」死に方』を
ちゃんと考えるべきだと思いました。
そしてできるなら
自分自身の死に向かう時の考え・希望を
家族とも話しておくことは大切だと思います。
自分の死に方を選ぶこと
それは
自分がどのように生きてきたのか・・・
その集大成でもあるのですから!!
一季