先週の土曜日に従兄が広島から上京した。
従兄は数年前になるだろうか、脳溢血で倒れ、右半身が麻痺してしまい、
右手が不自由で、右足には補助器具をつけて歩行している。
去年の春の震災後、息子と二人広島の叔母の家でお世話になった時に
従兄に会った。
従兄は「叔父さんの見舞に行こうと思って一生懸命リハビリに励んでいた矢先に
震災が起こったので、しばらくは行けない。でも、頑張って絶対叔父さんの見舞に
行くから」と話してくれた。
私はその時従兄の気持ちを察し、「お兄ちゃん、頑張ってね。お兄ちゃんなら
絶対できるから。東京で待ってるからね。」と励ましの言葉をかけ、約束した。
従兄はそれからもずっとリハビリに励み、宮島、奥さんの実家の長崎へと、少し
ずつ遠出の練習もした。
最初の補助器具は壊れ、新しいのに買い換えた。
回復は見込めないと言っていた医者がびっくりするほどの機能回復だという。
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それから一年半。私の実家に急に「寒くなる前に叔父さんのお見舞いに伺います。」
と、従兄から電話が入った。
残念だったが、私は予定が入っていて会えず、妹が東京駅から八王子の病院まで
送ってくれた。
父は気管切開しているので話せず、目も白内障で書物は読めず、耳もかなり遠い。
家族で父と会話するときには、サランラップの芯を耳元に当て、大声で話しかける。
すると体調が良い時や言いたいことがあるときには筆談してくれる。
それ以外はジェスチャーや顔の表情で表現してくれる。
そんな状況なので、滅多に会わない甥っ子のことがわかるのだろうかと、母も私も心配した。
元気な時ならおしゃべりで人を楽しませることが好きだった父だけに、遠方から見舞に
来てくれた甥っ子がわからなかったら、お兄ちゃんに申し訳ないと思っていた。
それが、最初はわからなかった父が、従兄のことをわかり、一か月ぶりに紙に
「うれしい。 ありがとう。」と、しっかりした字で書いた。
その後、従兄の横にいる女の人を見て、「E子さんか?」と従兄の奥さんの名前も
覚えていて、紙に書いた。
母と妹はわかってくれて一安心し、従兄と奥さんは喜んでその紙を記念に持って帰った。
元気な時ならその喜びをいっぱい話してくれただろうに、そのわずかな言葉に父の
あふれんばかりの思いがこもっていたと思う。
身体の機能が少しずつ衰え、外からの刺激が少ないのに、父の頭は驚くほどしっかりしている。
出来なくなっていくことが増えている中、父には私たちや周りの人にいまだに感動を
与えてくれる力があり、父の偉大さを改めて知り、嬉しくなる。
お兄ちゃんもまたそこまで頑張れるほど、父に恩義を感じ、辛いリハビリを頑張って
約束を果たしてくれたことに、本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。
お兄ちゃん、E子さん、ありがとう。
お父さん、ありがとう。 大好き
----- Coo -----